伊丹十三脚本監督
『大病人』
(1993年公開)
俳優兼映画監督の向井武平は撮影中に倒れ、病院に運ばれる。彼の体はすでに癌によって蝕まれていた。担当医は妻・万里子の大学時代の友人・緒方洪一郎。緒方は、向井に告知をしようとせず病名を偽りながら手術を繰り返す。一方、癌の進行をよそに武平は愛人を病室に引き込んだり、看護婦をからかったり。あまりにも目に余る武平の行動に怒った緒方はつい軽率な発言をしてしまい、武平はショックのあまり自殺を図ってしまう・・・。
~DVDより抜粋~
● 伊丹監督のおもいに近寄ってみる
映画を愛した伊丹十三監督、入魂の作品。
映画のキャッチコピーは「僕ならこう死ぬ」
山崎章郎著『病院で死ぬということ』を プロデューサーの細越さんと読んで「そろそろ俺たちも死ぬということを真面目に考えてみようよ」 と作ったのが『大病人』。
伊丹監督はプレス・キットでの記者へのコメントで、映画のテーマを次のように話して、僕たちに問いかけています。
「どう死ぬにせよ、人間必ず死ぬんです。したがって、死なないつもりで生きているのはどこか間違っているのではないか」
「死ぬと決まっている以上、死を前提に、死を生にとりこんで生きるのではなければ、本当に生きていることにならないのではないか」
「死から逃げることは生からも逃げることではないか」
そして、映画を撮り終えた後では、映画の心髄を次のように語っています。
************************
**** 監督の言葉ここから ****
素晴らしかったのは、臨終のシーンを撮ってみて初めて『ああ、これがこの映画なんだ。自分はこの映画でこういうことをいいたかったんだ』というのがわかりましたね。
(中略)
死というものが映画を撮る前より、身近に感じられ、必ずしも嫌悪すべきものとしてでなく、もう少し親しめるものに感じられるようになったと思います。
考えれば死というものも、われわれの人生ですよね。人生の最後の1ページでしょう。
その最後の1ページが真っ暗で、きたならしく何の意味もないものであってよいわけがない。
願わくば安らかで感謝に満ちた光り輝くものであってほしい。
そういう願いがこの脚本にこめられていたのだ、ということが撮ってみて初めてわかったように思います。
伊丹十三『大病人日記』より
**** 監督の言葉ここまで ****
************************
解決できない苦しみがあったとしても、夢をもつことや人間関係、療養場所などが支えとなって、穏やかになれる希望が描かれているのだと思います。
伊丹十三監督の映画では、キャスティングや衣装合わせ、小道具合わせ、かつらやメイク、セットや装飾、撮影のための場所探しなど、緻密に決められています。
だからこそ、伊丹監督が体験した、本当の人の死に立ち会うような親しいものを看取るような不思議な感動のラストシーンになっているのでしょう。
映画『大病人』。
上映時間は1時間56分。
この短い時間が、今後の人生に影響するでしょう。