映画を愛した伊丹十三監督、入魂の作品。
映画のキャッチコピーは「僕ならこう死ぬ」
山崎章郎著『病院で死ぬということ』を プロデューサーの細越さんと読んで「そろそろ俺たちも死ぬということを真面目に考えてみようよ」 と作ったのが『大病人』。
伊丹監督はプレス・キットでの記者へのコメントで、映画のテーマを次のように話して、僕たちに問いかけています。
「どう死ぬにせよ、人間必ず死ぬんです。したがって、死なないつもりで生きているのはどこか間違っているのではないか」
「死ぬと決まっている以上、死を前提に、死を生にとりこんで生きるのではなければ、本当に生きていることにならないのではないか」
「死から逃げることは生からも逃げることではないか」
●・。
そして、映画を撮り終えた後では、映画の心髄を語っているように思います。
************************
**** 監督の言葉ここから ****
素晴らしかったのは、臨終のシーンを撮ってみて初めて『ああ、これがこの映画なんだ。自分はこの映画でこういうことをいいたかったんだ』というのがわかりましたね。
(中略)
死というものが映画を撮る前より、身近に感じられ、必ずしも嫌悪すべきものとしてでなく、もう少し親しめるものに感じられるようになったと思います。
考えれば死というものも、われわれの人生ですよね。人生の最後の1ページでしょう。
その最後の1ページが真っ暗で、きたならしく何の意味もないものであってよいわけがない。
願わくば安らかで感謝に満ちた光り輝くものであってほしい。
そういう願いがこの脚本にこめられていたのだ、ということが撮ってみて初めてわかったように思います。
伊丹十三『大病人日記』より
**** 監督の言葉ここまで ****
************************
伊丹十三監督の映画では、キャスティングや衣装合わせ、小道具合わせ、かつらやメイク、セットや装飾、撮影のための場所探しなど緻密に決められています。
だからこそ、本当の人の死に立ち会うような親しいものを看取るようなそんな不思議な感動のラストシーンになっているのでしょう。

映画『大病人』では、解決できない苦しみがあったても、夢をもつこと、過ごす環境、身近な人たちとの関係性などが支えとなって、穏やかになれる可能性を示唆しているように思います。
映画の上映時間は1時間56分。
この短い時間で濃く深い体験が味わえることでしょう。
